第451回 言葉を「定義」する
私たちの「思考」と「行動」を支配するもの
新元号
「令和」が始まって
2週間が経ちました。
それこそ
「改元」のタイミングに合わせて
「平成」という時代を総括したり
退位された明仁上皇の足跡を振り返る
テレビ番組がたくさん放映されてましたよね。
明仁上皇・上皇后さまの
国民への献身、奉仕ぶりには
本当に頭の下がる思いでいっぱいです。
たとえば
東日本大震災のときには
避難所の床に膝をついて
被災者と同じ目線でお話になられる
お姿が国民の「感動」を呼びました。
同時に、
保守層の一部の人からは
「天皇の権威が失墜する」という
「批判」の声も上がりました。
私は、
どちらが正しくて
どちらが間違っているという
議論を持ち出したいワケではなくて
どうして
あの場であのような
「振る舞い」が出来たのかということを
ここで考えてみたくなったんです。
私のような者が
ここで言及するのは
本当に畏れ多いことではありますが
おそらく当時、
上皇さまの念頭にあったのは
「象徴天皇」という言葉の「意味」です。
日本国憲法の第1条では、
「天皇を日本国と
日本国民統合の『象徴』と規定する。」
と定められています。
つまり、
「天皇」という存在が
日本国と日本国民の「象徴」であると
「定義」づけられているワケです。
私ごときの
勝手な推測で畏れ多いのですが
おそらく
上皇・上皇后両陛下は
誰よりも「象徴天皇」という
言葉の「定義」「意味づけ」を深く深く
何度も何度も考え続けておられるからこそ
東日本大震災に限らず
いついかなる「場面」でも
あふれ出る気品と
いたわりの眼差しと
慈愛のお言葉を欠かされることが
全くないのではないでしょうか。
もうお二人から
お人柄がにじみ出てますもんね。
それもこれも
「象徴天皇」という言葉の定義を
自分の中に落とし込む「作業」を
きちんとなされたからだと思うんですよね。
私たちの「日本」の、
「日本国民」の代表として
相応しい態度・振る舞いは
一体どのようなものか?
おそらく
あらゆる「文脈」で
その意味を考えられてきたはず。
そうであるからこそ
あらゆる場面において
一貫してブレることがなく
国民の象徴としての天皇を演じられる。
私たちは
その一貫したお姿に
深い敬愛の念を抱くのではないでしょうか。
これって
何かに似ていると思いませんか?
そう、経営における
「ミッション」(使命・存在意義)と同じです。
「ミッション」「バリュー」、
「経営理念」や「社是」「社訓」。
これらが
定められている会社は数あれど
きちんと機能している会社は
あまりないのではないでしょうか?
その理由は、ただ1つ。
その「定義」「意味づけ」を
きちんと落とし込んでいないからです。
もちろん考えた本人が
落とし込めていないのは
まったくお話になりませんが
ある日突然、
聞いたことないようなものを
与えられた社員・従業員としては
お題目だけで
日々の行動にまで
落とし込めるはずがありません。
時間はかかりますが
これは何を意味するか、
こういう場合はどうなるかを
1つ1つ
検証して、意味づけして
自分の価値観、行動規範として
落とし込んでいくしかないですよね。
なぜなら
私たちが何かを考えるとき、
行動を起こすときはいつだって
「言葉」を起点にして考えるから。
「言葉」や「概念」の定義、
曖昧にはしたくないですね。
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日報コンサルタント 伊藤博紀
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